日本のカレンダーには、睦月や如月などの馴染みの薄い月の名称が記されています。これらは、日本固有の伝統的な月の呼称で、昔の暦に由来しています。
本記事では、「如月」という名称に特に注目し、その起源、読み方、歴史的背景、そして如月に関連する習慣や行事について詳しくご紹介します。
如月はどの月で、どう読むのか?
如月は日本の伝統的な月の呼び名で、本来は2月を指す言葉でした。ただし、これらの名称は旧暦に基づいており、新暦でいうと如月は3月にあたります。しかし現代でも、如月は2月の別称としていくつかのカレンダーに記されています。
旧暦について説明すると、これは現在の暦に取って代わる前に使用されていた太陰太陽暦です。この暦は月の満ち欠けと太陽の軌道に基づいて作られており、新月の日を月の始まりとし、約29.5日ごとに月が変わるシステムでした。そのため、3年に1回のペースで月日のズレが生じ、閏月を設けることで調整されていました。現在の太陽暦では、これほど大幅な調整は不要となりました。
如月という言葉の読み方は、「きさらぎ」とされています。
如月の意味
多くの人にとって、「如月」という漢字は、一見して「きさらぎ」とは読めないかもしれません。この言葉は、中国の古典「爾雅(じが)」にも登場し、「二月を如となす」と記されています。ここでの「如」は「従う」を意味し、旧暦の2月(新暦では3月に相当)は春の訪れを表し、自然界の生き物たちが春に従って活動を開始する様子を象徴しています。
したがって、中国において旧暦が採用されていた時期には、二月は「如月(にょげつ)」として知られていたようです。
如月の由来
では、なぜ日本では中国式の「如月(にょげつ)」とは異なる「きさらぎ」という独特の読み方が生まれたのでしょうか。一つの理由としては、「衣更着(ころもがえ)」という言葉に由来するとされています。この時期は春が近づくものの、時に寒さが戻ることもあり、服の着替えが頻繁になることからこの名がつけられたと考えられています。一方で、寒さが強まる時期を意味することから重ね着をすることに由来するという説もありますが、旧暦の2月が新暦の3月に相当することから、前者の説がより実情に近いとされています。
如月の起源は
日本の旧暦で2月を指す如月には、様々な起源説が存在します。たとえば、春の訪れを告げる草木が芽吹く「草木張月」(くさきはりづき)が如月の語源になったという説や、春の暖かさが徐々に増す「気更来」から派生したという説、季節の変化に伴い渡り鳥が訪れる様子を示す「来更来」が由来とされる説などがあります。これらの説は、いずれも春の到来や自然の息吹を感じさせます。
2月の他の名称
2月は、如月という名称以外にもいくつかの異名を持っています。以下はその中の一部です。
- 雁帰月(かりかえりつき)
秋から冬にかけて日本に滞在した雁が春になると北に帰る様子に由来します。 - 雪消月(ゆききえつき)
この時期に降り積もった雪が溶ける様子を表しています。 - 梅見月(うめみつき)
この時期に咲く梅の花にちなんでいます。 - 仲春(ちゅうしゅん)
旧暦の1月から3月を春とし、2月はその中間に位置するため。 - 木芽月(このめつき)
この時期に草木の芽が出始めることから名付けられました。
如月の時期に行われる習慣
2月には特別な風習があり、その中でも全国的に親しまれているのが節分の恵方巻です。元々は関西地方の習慣で、江戸時代に商売繁盛を願って食べられるようになったと言われています。恵方巻は、その年の吉方位を向いて、7種類の具が入った巻き寿司を食べることで運を招くとされています。1989年に大手コンビニエンスストアが「恵方巻」として販売を始め、全国に広まりました。
如月の主要な行事
2月に行われる日本の重要な伝統行事として節分があります。
節分は、立春を含む四季それぞれの始まりの前日に実施される、厄を払うための行事です。元々は年に4回実施されていましたが、冬の終わりと新年の到来を告げる立春の節分が特に重要視され、徐々に2月の節分のみが広く祝われるようになりました。
節分で鬼を追い払い豆をまく風習は、中国の鬼払いの儀式「追儺(ついな)」と、日本の宮中で行われていた豆打ちが結びついて生まれたと言われています。
節分の日付に関しては、一般的には2月3日とされていますが、これは固定されたものではありません。節分は立春の前日に行われる行事であり、立春の日付は年によって異なります。1985年から2024年までの間は立春が2月4日だったため、節分は2月3日に設定されていましたが、2025年以降は立春が2月3日の年には節分が2月2日になることもあるのです。
まとめ
如月にはさまざまな説があり、どの説が正確かははっきりしていません。しかし、中国の古辞典に記された如月の記述と和風月名の文化が融合し、自然や天候の要素を取り入れた現在の読み方に至ったという説が有力です。和風月名の背景にはまだ解明されていない多くの点があり、その探究は魅力的です。